ゴールデンウィーク(懐かしい)に出かけてきた、島原、雲仙、天草、阿蘇、そして都城で撮影したフィルム写真が出来上がってきたので、少しずつアップして行きます。
最後の目的地、都城市。この旅、最後のフイルム。
庄内川をおよぐ鯉のぼりを見に行きました。
さて、カメラ屋に向かうと、カメラで何を撮影しますか?と店員さんに聞かれます。
何か撮りたいものがあるからカメラを使いたいという仮定のもとに、お客さんに最適なカメラをおススメしたいための質問だと思います。
普通なら、子供の成長の様子撮りたい、 スポーツ観戦の様子を動画で撮りたい、旅行の様子を記念に残したい、フラワーアレンジメントの成果を撮りたい、ペットを撮りたい、山を撮りたい、戦場の様子を伝えたい、などと答えるところです。
なかなかこの回答に困ってしまいます。
撮りたい、と思ったものがあるわけでもなく、目の前のものを無理矢理撮っている感があります。
どちらかというと、カメラを使いたい、ということが目的化していて、よく言う、「手段の目的化」が発生している気がします。
撮る対象に対する愛情が欠けていると言う、ちょっと寂しい状態なのかも知れません。
次々とカメラやレンズが増えていった状況を省みると、こんなことをぼんやり考えてしまいました。
まあ、もう少し、気楽に撮りたいものです。
最後の目的地、都城市。この旅、最後のフイルム。
庄内川をおよぐ鯉のぼりを見に行きました。
さて、カメラ屋に向かうと、カメラで何を撮影しますか?と店員さんに聞かれます。
何か撮りたいものがあるからカメラを使いたいという仮定のもとに、お客さんに最適なカメラをおススメしたいための質問だと思います。
普通なら、子供の成長の様子撮りたい、 スポーツ観戦の様子を動画で撮りたい、旅行の様子を記念に残したい、フラワーアレンジメントの成果を撮りたい、ペットを撮りたい、山を撮りたい、戦場の様子を伝えたい、などと答えるところです。
なかなかこの回答に困ってしまいます。
撮りたい、と思ったものがあるわけでもなく、目の前のものを無理矢理撮っている感があります。
どちらかというと、カメラを使いたい、ということが目的化していて、よく言う、「手段の目的化」が発生している気がします。
撮る対象に対する愛情が欠けていると言う、ちょっと寂しい状態なのかも知れません。
次々とカメラやレンズが増えていった状況を省みると、こんなことをぼんやり考えてしまいました。
まあ、もう少し、気楽に撮りたいものです。