次々と発売されるカメラやレンズを手に入れてしまいたい、という浮かんでは消える煩悩と向き合うためにブログを書いています。
たまに欲望に負けて買ってしまいます。
2024年の目標は、これ以上カメラもレンズも買わないことです。


息子たち二人と劇場版ポケットモンスター ココを見てきたので覚えてるうちに感想を書きます。
ネタばれ含みますので、まだご覧になっていない方で鑑賞のご予定のある方はご注意ください。








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レビューアの情報:
ポケットモンスターのアニメは子どもが見ている横でたまに眺めている程度であり、正直ポケモン世代ではなくゲームはひとつもやったことがないのでほぼ思い入れもないのですが、ここ最近の映画は子どもたちを連れていく時に一緒に見ているレベルです。2018年の「みんなの物語」と2019年の「ミュウツーの逆襲」は劇場でみました。スマホのポケモンGoは少しかじった程度であり、キャラクターはサトシとピカチュウとロケット団(ムサシ、コジロウ、ニャース、ソーナンス)ぐらいがわかる程度です。


今回の舞台は森。ザルードという群れで過ごすサルを模したポケモンとそのザルードに拾われ育てられた人間の子供という異種間の父子の物語でしたた。映画は曲も歌も中村勘九郎らの声も絵も素晴らしいし、ロケット団も活躍しているしで楽しめました。

なんだけど、少しだけ、何となく釈然としないもやもやした点も残りました。いくつか書いてみます。


1.「ザルード」がどうしても「ざるうどん」に聞こえてしまう点。
まあ冗談はともかく、ザルード、いろいろ特殊な技を使える面白いポケモンですが、人間に扱われるようなタマではないですね。簡単にはモンスターボールには入ってくれないんじゃないかな。何かを振りまくことで木も成長させられるとか。森の精ポケモンという感じなのでしょうか。でも最後に出てきたピンクのポケモン(セレビィ?)のほうが森の精という感じですね。
ザルードの群れ、オスのような個体ばかりでメスはいないのかな?父といっていたので母もいそうなものですが、、、性別のないポケモンもいるようなので、ザルードは全部オスなのかもしれないですね。


2.赤ん坊ココの描写が現実離れしている点。
最初にココが川から流れてきたところでザルードと出会うシーンがありましたが、泣いていた赤ん坊が起きだして立ったりハイハイしたりする様子は、正直ちょっと人間の赤ちゃんとは違う動きだなーと思いながら見てしまった。ハイハイから立つとしたらつかまり立ちでしょう。一人で立てるならそこから歩こうとする(そして転ぶ)でしょうけどそういうそぶりは無し。もう少し実物の赤ちゃんの動きをリサーチしてみたほうがいいんじゃないかなと老婆心ながら思って見てました。まあ、その人間の子供がポケモンに育てられるぐらいなので細かい点を気にしたらダメなのでしょうか。


3.過去にゼッド博士の犯した殺害事件が、単なる交通事故として処理されている点。
ココの両親の手掛かりを探しにココとサトシ一行がゼッド博士率いる研究所を訪問しますが、そこでゼッド博士にココの両親がすでに交通事故で死亡していることを聞かされます。そのゼッド博士が実は今回の黒幕で自分の研究の野望のためにココの両親を事故に見せかけて殺害してしまうというなんとまあポケモン映画にしてはかなり残酷なストーリ展開でした。そこで疑問なのは、じゃあ当時の警察は何してたの?ちゃんと捜査したの?という点。しかも間抜けなことにゼッド博士の過去の殺害自白動画を録画してありそれがロケット団に見つかって公表されたために最終的に逮捕されてしまうのですが、事故当時の動機(ゼッド博士のやりたい研究がココの両親によって白紙にされる)もしっかりしているし、はっきり言って当時の警察の捜査ミスであり怠慢でしょう。


4.研究員がひどい点。
森を破壊しつつ進む工作ロボットも最初はゼッド博士ではない普通の研究員が載っていたはず。周りの研究員たちは森を破壊していることに疑問も持たずに平気でやってしまう。だがゼッド博士に強要されているようにも見えずに自発的にやってさえいるようにみえ、はっきり言って研究員も同罪でしょう。そしてその後ポケモンたちが一致団結してゼッド博士のロボットを攻撃しているときの研究員たちの手のひら返しにはちょっとびっくりしました。普段からゼッド博士の野心にはうすうす気が付いていなかったんでしょうか。こういう無邪気な研究員がミュウツーを生み出すんだろうな、って思いました。


5.ゼッド博士の操作する工作ロボットが敵で、伝説のポケモンなどが登場しない点。
森を強烈に破壊しながら突き進むことで見ている観客に悪として認識させようとしているのですが、これでいいんだっけ?もっとすごい伝説のポケモンとか出さなくていいの?しかもロボット、壊れたはずなのに最後に植林作業とかしているし。

2019年に見たミュウツーは出生からして悲しいドラマを背負っており、自分は何のために生まれてきたのかという問いとともに、強いポケモンであるがゆえにさらなる強さと戦いを求めてしまうというストーリーに重みがあったきがしましたが、今回のゼッド博士の深みがあまりかんじられないのは残念でした。研究へのこだわり(人を殺してまでやる)は描かれていましたが、それを単にロボットを倒すだけでいいの?しかもそのロボットの弱点は背中の制御盤。それを壊したら終わり。ポケモンが協力して壊すのが、制御盤。みごと破壊された後、生身のゼッド博士はただただ逃げるのみ。濁流に飛び込もうとしたのは観念しての自殺だったのかそれとも逃亡だったのかそこも読み取れなかった。人間が敵なら、何かもうすこしゼッド博士の悪の信念を見たかった気がします。ココの両親まで殺しておいてそれはないでしょう。

ポケモンの映画ってもしかしたら悪い人間VSポケモンとか、そういう感じなのが普通なのでしょうか。過去のポケモン映画を全部見たわけではないので何とも言えないのですが、でもまあそういえばみんなの物語のゼラオラの時も市長が悪者だったっけな。ミュウツーを作ったのも無邪気な研究員だったな。ゼッド博士も無邪気な研究者の一人ということだったのでしょうか。


6.ココが奇跡を起こした理由が納得いく説明がなかった点。
ザルードに育てられたココは自分をポケモン(ザルード)だと信じており、育ての親の父ちゃんザルードを本当の父と信じてやみません。クライマックスでは傷ついた父ちゃんを癒すためにザルードの特殊能力をなぜか使えるシーンがあります。自分は「ココを森が手助けした」と理解したのですが、真相は不明。ザルードの長老には「奇跡」といわれていましたが、ココは人間の子供なのに特殊能力が使えるようになった理由にもう少し丁寧な説明が欲しかったところ。セレビィの後押し説というものもあるそうですが、、、。



まあ細かい点はともかく、父ちゃんザルードとココのきずなには素直に泣かせていただきました。そうしていろいろと思い返してみると、あの森自身が主人公で、森が自分で森を守った、という映画だったのかなと思いました。森は森の中にさまざまな生物を抱え込むことができ、それ自体が森の力になっている。森は生物の多様性を維持することで、森自身が力を持ち、さらに生き延びることができる。ちょっとした外敵が来たからといって森にはそれを追い返す力がある。それが森=最後のピンクのセレビィということだったのかな?もうすこしセレビィと森の関係を描いてあるとよかったなと思いました。

最後に、子どもたちに感想を聞いたら「面白かったよ!」といっていたので、一緒に見に行けてよかったなと思いました。あと何回一緒に見に行けるかな。いつかココのように旅立っていくのでしょう。いつか旅立ちを見送るときにはこっそり餞別を入れてあげることを覚えておこうと思います。

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