次々と発売されるカメラやレンズを手に入れてしまいたい、という浮かんでは消える煩悩と向き合うためにブログを書いています。
たまに欲望に負けて買ってしまいます。
2024年の目標は、これ以上カメラもレンズも買わないことです。

RICOH GR@2014年6月、横浜。上海にはあんまり紫陽花がない。
今年の梅雨は紫陽花を見ないで終わりそう。

日本国内でも正式にα7R IIの発売が発表された。発売日は8月7日とのことだ。
国内での現在の小売価格は約43万円。おそらく数カ月程度で35万〜37万円で落ち着くのではないかと勝手に予想。そして年内には28MP程度のEXMOR RR COMSを搭載したα7IIIが25万円ぐらいで発表されて来年の2月ごろに登場するんじゃなかろうかなと。

42MPのイメージセンサーを積んだα7R II、これまで高画素機の最高峰と認識されていたNikonのD800/D810をあっという間にCANONやSONYが置いていった格好だ。裏面照射型+高画素というブレイクスルーで新しい時代を築くのだろう。

ところで人間の脳は不思議なもので、例えばハイビジョン画質に慣れてしまうとこれまでのアナログ画質はなんでこんなに汚いのだろうと、より綺麗なものに慣れてしまうと今まで普通だったものが古くさくて仕方なく感じてしまう。一方で、例えばビットレートの低い動画でも内容が面白ければ画質の悪さは気にならなくなるように、単純な先鋭さよりも内容の素晴らしさをより強く知覚できているように思う。デジカメの高画素競争は、パソコンのCPU周波数競争とは違って、人間の官能的な部分に関係していると思われるので、表示デバイスが表現できる余地がある限り高画素、綺麗さを求めていくのは人間の自然な欲求であると思うが、画質が悪くても画像が小さくても、良い写真は良い写真であると脳は認めてしまうようにできていると思う。

というわけで、人間の脳に先鋭さ側のインパクトをより高めるためにはそろそろ出力デバイス側の革新的な進化が必要な時代になっている、起きても良いのかなと思う。パソコンのディスプレイが液晶モニタに変わり、テレビのブラウン管も液晶モニタに変わり、写真は主に手に取って観れるスマートフォンで鑑賞する時代になりますます紙ではプリントアウトしなくなった。時代はどんどんあたらしくなる。紙や液晶モニタを超えた、写真家がイメージして伝えたい通りの表現ができるような出力方法の革新があっても良いのではないか。液晶モニタで見ている限りは等倍鑑賞という鑑賞方法以外では高画素のメリットが活かしきれていないように感じる。

そこで現時点の液晶モニタに変わる新しい何か、まるで目の前に実物するかのような表現ができるデバイスの出現がないのだろうか。現時点でスマホの液晶モニタに表示するにはJPEG画像で十分かもしれないが、新しい何かのデバイスが登場して普及すれば、もっと高精細で、もっと色や光に深みと奥行きがあり、立体感があり、現実感があるで表現が可能になるデバイスが登場してかつ普及すれば、もっともっと入力側のカメラも進化する余地があり、高いカメラを買う意味も出てくるだろう。

そうして数十年後には直接人間の脳の視覚野に入出力するようなデバイスが出現するだろう。まだまだ脳には未知の部分が多いが、結局は人間の脳が知覚しているのだから、脳に直接作用させる方法が一番手っ取り早いだろうなあと勝手な妄想をしてしまう。でもそういう時代になるまで生きていられる気がしないが、より新しい、わくわくさせられる、脳を喜ばせるような革新が起きないかなと期待している。

高画素化やカメラの進化の影響は人間に対する直接的な刺激で、肉体的な部分で感じているのではなかろうかと思う。それはそれで人間の欲求を叶えるのには必要な要素だ。一方で、写真の内容というものは間接的な刺激で、精神的な部分で感じているのだろう。もしハードウェアの進化でより高度な精神的な表現を授受が可能になるのであれば、より高度な肉体的な知覚への刺激が可能になるデバイスの出現が待たれるところだろうなあ。

Add Comments

名前
 
  絵文字
 
 
最新コメント
カテゴリ
記事検索
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ