次々と発売されるカメラやレンズを手に入れてしまいたい、という煩悩を鎮めるためにブログを書いています。
たまに欲望に負けて買ってしまいます。

RICOH GR@タクシーの運転手に教えてもらったレストランに行き、名物だという鍋を頼んでみた。みたところ魚のようだが、周りにあるのはパン的なもの。
まあまあうまい。世の中にはまだまだ知らない食べ物がたくさんあるようだ。


人間が無意識に行っていることに、息をする、心臓を動かす、手を伸ばす、歩く、などの自分の体を制御する行動もあるが、言葉もそうで、今は中国語は喋りもできないが、苦労を乗り越えて無意識の領域に到達させればいとも簡単に外国語も操ることができるようになるだろう。その他に、箸を持って食べる、キーボードでブラインドタッチをする、スマートフォンでフリック入力をする、など道具を使うことも無意識にできるようになる。無意識の領域で物事を実行する状態とは、「迷いがない」状態、「当たり前」の状態である。繰り返し繰り返して鍛錬を積んだ上で意識しなくてもできるようになる状態だ。後輩から仕事でのコツを聞かれた時に、教えにくいなあ、言葉ではうまく説明できないけどなあ、ということがあるが、そういうことは「カラダで覚える」的な、意識ではなく無意識で処理していることなのだろう。

カメラも同じで最初は新しいカメラの使い方に戸惑うが、じっくり使っていくことによって慣れていき、操作に迷いがなくなり、意識しなくても無意識に操ることができるようになる。

良い写真を撮るための本もいろいろ出されているが、さまざまな構図やカメラの設定の仕方、撮り方が事細かに紹介されているが、たいていの場合、「構図やなにかも忘れていいから自分が好きだと感じたものを撮れ」的なことが書いてある。これは結局さまざまな構図やカメラの設定の仕方、撮り方を苦労して学んだ上で、無意識にできるようになった結果到達できる領域なのではないかという気もする。

「ごちゃごちゃ細かいことは考えずに思った通りに感性で撮れ」ということは「いろいろと意識して撮ることを繰り返した結果、設定などは無意識にできるようになっているので、あとは感性にまかせて撮れるようになる」ということである気がする。

無意識の中に自分が撮りたいイメージがしっかりと思い描がかれていて、無意識のうちにイメージ通りの写真が撮れている状態にまで到達することができれば、もっともっと自分の思う良い写真が撮れるようになるのではないかなあ。どうだろうなあ。

ではそのような状態になるためには、なにをすれば良いのだろうか。完全に仮説であるが、まずは、自分が撮りたい良い写真とはどんな写真なのかをよく知る。そのためには、世の中で良いと言われている写真をよく見て、どこが良いのか、どうしたらそれが撮れるのか、意識して見る必要があるかもしれないなあ。そして自分が撮りたい良い写真のイメージをしっかりと持つ。シャッターを切る時には良い写真になるよう自分の持つ良い写真のイメージを強く意識する。そしてその通りの写真が撮れるまで工夫を重ねてシャッターを切り続ける。

そういう意味では、カメラのAUTOモードに任せて撮るのが、良い写真が撮れるための早道なのかもしれないなあ。意識して最適な設定を覚える努力をすでにカメラがやってくれているのだから、そこはカメラに任せて、人間は良い写真のイメージを持つことに意識を集中するべきかもしれないなあ。

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